定年おやじのセカンドライフ

生きている実感はありますか?

老いて初めてわかること

老いた母が「あんたも私の年になったらわかるいネー」とよく言っていた。

70歳を過ぎてから年々体力、気力の衰えを自覚するようになり、この言葉を思い出す。

人の名前が思い出せない。

目がすぐに疲れ、小さい活字を見るのが嫌になる。

少しの段差でも転びやすくなった等々。

 

1年前から、60代の終わりまで楽しんでいたフルマラソンの後遺症に悩まされている。左足の膝が痛みまともに走れなくなった。医者にはまだ行っておらず、リハビリとしてウオーキングに励んでいる。

 

「生涯現役」や「70歳定年制」が話題になっているが、最近その実効性に疑問を持ち始めた。体の衰えは各人各様だが、高齢者になって初めてわかることも多いからだ。

ラジオで聞いた落合恵子さん(75歳)の言葉が印象に残っている。

「老いるとは何かを失うことであるが、何かを得ることでもある」

 

自分は何を得ているのだろうか?

 

 

晩秋の一日

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今日(10月19日)は秋晴れだった。

家に隣接する約100坪の畑で妻と農作業をした。コスモスが畑のあちこちに咲いており、心が和んだ。夏野菜が終わり、数週間前に種を撒いた大根、白菜などの冬野菜がかなり育っていた。ゴーヤ、カボチャ、トマトは「まだ生きている」と妻がそのままにした。秋のトマトはとても甘いのだ。

次男の誕生記念に植えたキンモクセイの花も咲いた。台風の塩害のせいか例年ほど花が多くない。大木になり、台風の際は風よけにも役立った。

柿の木の下のらんちゃんの墓に、コスモスの花を供えた。柿の実も今年はまばらで少し寂しい。

熊手で土を耕していると妻が「タキちゃんが来た! 」と叫んだ。毎年、冬に飛来するジョウビタキで、わが家の畑を縄張りにしている。とても人懐っこい。耕した土の中にいるミミズなどをすぐそばで狙っているのだ。

そんな穏やかな時間が流れていった。

 

母の命日

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9月30日は母の命日だった。

5年前(2015年)の今日、15時53分、門司の結核病棟で亡くなった。

その日は奇しくも今日と同じ水曜日。小雨だった。

認知症で特養に入居していたが、発熱が続き隣接の老人病院に移ったのが、9月12日。その夜は妹が付き添ったが、翌日はとても苦しそうでそばにおれないほどだった。

 

9月14日朝、病院から結核菌が見つかったとの連絡を受けた。想像だにしなかったことに気が動転した。翌朝(9月15日)結核病棟のある門司病院に移送。この2週間後、最期を迎えた。感染症なので付き添えず、面会も短時間しか許されなかった。

そばで最期を看取れなかったことが今も悔やまれる。たった一人で旅立ち、どんなに寂しかっただろう・・・。

同じ感染症でもコロナの場合は、焼却された遺骨の段階でしか対面ができないことを思えば、通常の葬儀が出来たのでまだよかったとも思う。

志村けんさんの兄さんや岡江久美子さんの夫・大和田獏さんがぽつんと遺骨を受け取っていたが、遺体との面会もかなわなかった心情は察するに余りある。

 

また今日は今年5月に亡くなった愛犬らんの月命日でもあった。

最近、毎朝空を見上げるのが習慣になった。母とらんの最期の姿がいつも浮かんでくる。「精一杯生きてね!」と言われているようで、生きる力がわいてくる。

 

ラジオ体操で一日をスタート

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私の大切なルーティンの一つにラジオ体操がある。

毎朝6時30分、携帯ラジオの音楽に合わせた体操で一日をスタートする。40年間勤めた職場を退職した11年前、愛犬の散歩も兼ねて始めた。

 

場所は近所の小高い森の公園。頂上からは街並みや海が一望できる素晴らしいロケーションだ。ただ、頂上までは200メートル近い急坂が続くので、高齢者が上るのはかなりきつい。頂上には祠が鎮座し、そばに神木のクスの大木が天にそびえる。春には桜がとてもきれいだ。

 

梅雨の合間の今朝の参加者は、自分を含め7人。全員が高齢者だ。

ラジオの音楽が始まるとウグイスが大きな声でさえずり始め、終わるとピタリと鳴き止んだ。続いてクマゼミの大合唱が始まった。

 

当初一人で始めた体操だったが、ウオーキングや犬の散歩の人達が加わり、同好の士はすぐに15~20人に増えた。愛犬達の遊びの場にもなり、いつも賑やかだった。

数年前から参加者は当時の半分以下に減り、寂しくなった。古参メンバーはわずか2人だ。「10年一昔」というが、人間も犬も年をとり、坂道を上るのが難しくなる人や亡くなる犬が増えたからだ。

 

振り返れば、ここで知り合い、交流を深めた多くの人や犬の姿が目に浮かぶ。わが家の愛犬ランとよく遊んだロン、モコ、六、ハナ・・・。10年前の7月20日、ランとモコが体操をする我々を見つめる姿を写真に撮った。そのモコも1年前に亡くなった。

 

体操の後は祠に向かい手を合わせる。

「ランちゃん、今日も頑張るから見守っていてね!」

いつもそばにはランがいた。

人生の最終章をどう生きようか?

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コロナ禍のさなか、天職と思っていた仕事を2020年3月末に定年退職。その2か月後、最高の相棒だった愛犬が15年11カ月の生涯を終えた。

仕事と相棒を一挙に失い、喪失感で一杯だ。あと半年で後期高齢者セカンドライフが終わり、「人生の最終章」を迎えたことを痛いほど感じる。

折しも、新型コロナウイルスの感染拡大で社会・経済も一変した。

 

地元大学で就職アドバイザーとして10年間勤めた。最近は週1日の勤務だったが、社会との接点で、学生の悩みに貢献できることにやりがいがあった。

退職した翌日(4月1日)、大学は学生の立ち入りが禁止された。予期せざる、印象的な出来事だった。

 

愛犬の老いる姿を見るのは辛かった。自らの老いを重ねていたからだ。愛犬は晩年、認知症を患い介護が大変だったが、失ってみてその存在の大きさがよくわかった。「自分に残された時間は短い」ことを強く意識するようにもなった。

 

早く喪失感を克服し、人生の坂道を、生きがいを持ち、元気にゆっくり、下りたい。そのためにはまず「健康」だ。(認知症やおおきな病気にならないこと)

当面の目標は次の通り。

1.終活→本腰を入れる

2.頭を使う→新聞をよく読み、株式投資に生かす

       ラジオ講座での英会話の勉強

       ブログや投稿を楽しむ

3.運動→ラジオ体操で1日をスタート

     テニスを週3回楽しむ

4.食事→妻がよく配慮

5.土地に親しむ→野菜作り、田畑の維持・管理

6.新しい日常への対応→新しいことにチャレンジ

 

脳裏に刻んだ愛犬の最期の姿を思い出すたびに、「私がいなくても夫婦仲良くしてね」と言われているような気がする。

 

 

愛犬ランちゃん永眠

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愛犬ランが妻に看取られ、15歳11カ月の生涯を終えた。

2020年5月31日(日)、深夜12時55分

山口市内の実家に連れて帰った日のことだった。

 

「ランちゃんが死んだ!」妻の鳴き声で飛び起きた。リビングの毛布の上に横たわる体はまだ温かかったが、名前を何度呼んでも、頭をなでても動かない。覚悟はしていたものの悲しみがドッと込み上げた。「長い間ありがとう!」と叫んでいた。

 

妻がいつものように介護をしていた。「うちに来て幸せだった?」など話しかけていた時、突然、「ワン、ワン」と大きな声で反応した。これが最期だったという。別れを告げたのだろうか。その時寝ていたことが悔やまれる。

 

妻がランの体にそっと毛布をかけた。まるで眠っているかのような姿に胸がつまった。横になるも眠られず、3時半に起きて遺体のそばのテーブルで悲しみを日記につづった。夜のしじまのなか、ランと過ごした日々を偲ぶ自分なりの通夜だった。

 

ランは先に飼っていた犬(レオ)が17歳6か月で天国に旅立った翌月、里親を探していた人からもらい受けた。その日のことや実家で失踪し4日目に奇跡的な再会を果たしたこと、名前のとおりグランドを飛ぶように走ったこと、雷をとても怖がっていたこと、テニスやマラソン練習には必ずついてきて見守ってくれたと・・・。次々に頭に浮かび、気がつくと東の空が明るくなっていた。

 

思えば、実家への車中では鳴き声が弱々しかった。せめてもの慰めは、ランを可愛がっていた中学生の孫娘二人が偶然、母親とやって来て、ランの頭や体をやさしくなでてくれたことだ。ランも嬉しかっただろう。

 

翌日(6月1日)は快晴。家に続く畑の一角にある大きな柿の木の下に埋葬した。妻が遺体を穴の中にそっと横たえ、二人で土をかけた。感極まった妻は「ランちゃん」と涙を流し、自分は横たわる最後の姿をしっかりと目に焼き付けた。

「ランちゃんの墓 2020年5月31日没 15歳11カ月」と書いた板を立て、楕円状の自然石を置いた。畑に咲いていたコスモスの花も両脇に活けた。

手を合わせると、我々夫婦の15年11カ月も葬られた気分になった。

 

愛犬の命の灯が消えかかっている

夫婦で懸命に愛犬を介護をしてきたが、 数日前からドックフードを食べなくなり、妻が飲ませる牛乳と水をわずかに摂るだけになった。

昨年末から認知症のせいか、昼夜を問わず突然起きだし、声をあげながらくるくる回り始めた。1週間前からはその声も弱弱しくなり、もう自力では立ち上がれない。

 

最近急激にやせ、骨と皮になった。首の左側にできた膨らみ(脂肪の塊?)も目立って大きくなった。体を抱っこする度に、痛々しく可哀そうでならない。

抱っこしたり、外に連れ出したりすると静かに眠る。このところこの繰り返しだ。

 

「生あるものは必ず死す」。わかっているが、とても辛い。リヨ→レオ→ラン。犬を飼うのはこれが最後だ。「年を散るのは辛いノー」とランによく話しかけるが、抱かれて黙ったままだ。明日のわが身を見る思いがする。

 

この16年弱はラン抜きには語れない。最高の相棒だった。

映画「ハチ」のラストシーンが思い出される。老いたハチが毎日主人を見送り、出迎えた駅前の公園で静かに永遠の眠りにつくシーンだ。主人との楽しかったことを思い出しながら。ハチの体に雪が積もっていく・・・。