定年おやじのセカンドライフ

生きている実感はありますか?

母の命日

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9月30日は母の命日だった。

5年前(2015年)の今日、15時53分、門司の結核病棟で亡くなった。

その日は奇しくも今日と同じ水曜日。小雨だった。

認知症で特養に入居していたが、発熱が続き隣接の老人病院に移ったのが、9月12日。その夜は妹が付き添ったが、翌日はとても苦しそうでそばにおれないほどだった。

 

9月14日朝、病院から結核菌が見つかったとの連絡を受けた。想像だにしなかったことに気が動転した。翌朝(9月15日)結核病棟のある門司病院に移送。この2週間後、最期を迎えた。感染症なので付き添えず、面会も短時間しか許されなかった。

そばで最期を看取れなかったことが今も悔やまれる。たった一人で旅立ち、どんなに寂しかっただろう・・・。

同じ感染症でもコロナの場合は、焼却された遺骨の段階でしか対面ができないことを思えば、通常の葬儀が出来たのでまだよかったとも思う。

志村けんさんの兄さんや岡江久美子さんの夫・大和田獏さんがぽつんと遺骨を受け取っていたが、遺体との面会もかなわなかった心情は察するに余りある。

 

また今日は今年5月に亡くなった愛犬らんの月命日でもあった。

最近、毎朝空を見上げるのが習慣になった。母とらんの最期の姿がいつも浮かんでくる。「精一杯生きてね!」と言われているようで、生きる力がわいてくる。