定年おやじのセカンドライフ

生きている実感はありますか?

雨の日に心和む花々とSBG株主総会

うっとおしい雨の日々にふと目をやると、我が家にもいろんな花が咲いている。

アヤメ、アジサイ、グラジオラス、ユリ・・・。

日頃は気にももとめない雑草の花にも、心が和らぐ。

 

 

6月は上場会社の定時株主総会が集中した。

24日開催されたソフトバンクGの総会をネットで視聴。孫正義会長兼社長の生の声は軽妙で自信に満ち、痛快でさえあった。

「AI革命は始まったばかり」「引退の暇はない」「14年後NAV1000兆円が目標。必ずやります」「4方面からAI業界を攻め、着々と布石を打っている」・・・。

自身が創業した以来のことやお父さんが亡くなられた際のことなどをちりばめた話は、株主を「孫ワールド」に確実に引き込んでいた。

AIの今後についてもわかりやすく説明があり、参考になった。

最期に強調されたのが、「お金儲けの為だけではない。社会に役立て幸せな生活実現に貢献すること」。

うっとおしさを吹き飛ばす、素晴らしい生の声だった。

孫さん、期待しています!

 

44年間の墓の歴史に幕(墓じまい)

44年間続いた我が家の墓の歴史に、静かに幕が下りた。

 

5月18日(月)、夏のような陽ざしのなか、お坊さんに供養してもらった。我々夫婦と妹夫婦4人が手を合わせた。

母が苦労して墓を建てた頃のことが、お経の間ずっと脳裏に浮かんだ。あれから44年。

米国研修から帰った時、母と妻と3人で訪れた写真が懐かしい。妻は長男を身ごもっていた。愛犬・ランちゃんともよく来た。彼岸花が道路沿いにずらりと咲いた光景が忘れられない。

最近は早朝一人で、散歩をかねてよく墓参りをしていた。

近距離だが「もう頻繁に来ることはあるまい」と思うと、一抹の寂しさを覚えた。

 

6月1日(月)、妻と撤去後の更地を見たが、感無量というより淡々と受け止めた自分に少し驚いた。

 

6月8日(月)業者が新しい骨壺に入った遺骨を持参。

57年ぶりに見た父の骨、11年ぶりの母の骨は、きれいに乾燥されていた。骨は当時のままのように見えた。

火葬場で骨を拾った時の記憶が蘇り、「人間すべて骨になる」ことを改めて実感した。

 

その日のうちにお寺に行き、我が家の納骨堂の前でお坊さんに拝んでもらい、自身の手で納骨した。父母の「終の棲家」だ。長く懸案だった墓じまいが終わり、夫婦でホッとした。

 

「思い出のよすが」が一つ消える寂しさはある。母方の墓も今までのようには管理できないだろう。

最近逝ったA君の納骨堂にも手を合わせた。「死んだらつまらん」母がポツリと漏らした言葉が胸に響く。

 

母が「永遠に続く」と信じて建てた墓を、時代の流れのなかで閉じることになった。

その変化を静かに受け止めている。

 

13年前のツバメの巣

晴天の5月中旬、開けていた窓からツバメが家の中に入って来た。

外に追いだしてもすぐに戻って来る。

 

やがて古い巣を見つけたようで、「キュキュ・・・」と泣きながら、巣のそばに止まり嬉しそうに動かない。そんな様子を何度も繰り返した。

妻は「いやされるね」と目を細めながら、「ツバちゃん、ここはダメよ!」と優しく声をかけていた。

 

その巣は13年前、ツバメが子育てをしたまま残していたものだ。

最初のヒナ9羽が無事に巣立ち、二回目の子育ての最中に悲しい出来事が起きた。

ヘビに襲われたヒナ達を守れなかったのだ。当時のことは、2013年8月30日のブログに詳しく書いている。

 

翌朝もツバメは5時前から外の庇に止まり、大きな声でさえずっていた。

「早く家の中に入れて!」と訴えているかのように。

観察している私との距離は、わずか数メートル。

「入れてあげたいけれども、出来ないんだよ」と心の中でそっとつぶやいた。

 

※ツバメは2年程度の短命だそうだ。

 年々ツバメの数が減っている気がする。

 休耕田が増え、田植えの済んだ田んぼをツバメが飛び回る光景も少なくなった。      日本の原風景が失われるのは寂しく、残念だ。

 

仏壇のローソクの火

毎朝仏壇の前に座り、ローソクと線香に火をつけて手を合わす。

 

今朝も左右のローソクに火を灯した。どちらも残り少なく、短くなっていた。

「般若心経」を唱えていると、左の火がふっと小さくなりスーと消えた。

右側の火が消えるのを、しばらく見つめていた。

なかなか消えず、最後の力を振り絞っているように揺れていた。

やがて、その火も静かに、ゆっくりと消えていった。その数分間が心の奥に響いた。

 

人間の最期にどこか似ている。そして今の自分の人生にも重なる気がした。

切なさが静かに広がった。

 

老年の葛藤

桜、ツツジそしてフジの花の季節が猛スピードで駆け抜けた気がする。

重苦しいものが常に心をおおい、何をすることもなく一日が流れてゆく。自身に残された時間、元気な時がわずかになっている、というのにだ。

 

この年まで生きている「幸運」と明日の「不安」が交錯する。

深夜に目が覚めると、不安と孤独に苛まれることが増えた。

このところ、懐かしい友人・知人が出てくる夢もよく見る。気楽に話せ、相談できる人の多くが亡くなったからだろう。

気が付くと、妻以外の誰とも話さない日が多い。

こんなはずではなかった!

 

今は亡きMさんが公園の坂道の途中に、ビルケースを台にして作られたイスが壊れかけていた。愛犬をつれたMさんが毎日のようにここに座り、坂を上って来る人に声掛けをしていたことが思い出される。当時は愛犬の散歩で通る人が多かった。

 

昔、このイスに腰かけて我が家の愛犬と満開のツツジをバックに写真を撮った。若かった・・・。

Mさんの言葉を思い出す。

「第二の人生、こんなはずじゃーなかった」(認知症の奥さんの介護が必要となり)

「奥さんを大事にしなさいよ!」

今は実感として胸に迫る。よくわかる。

 

俺にはまだやらねばならない「終活」がある。一日を無駄にせず生きてゆこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入社式を見て思ったこと

入社式のマスコミ報道を見て、57年前の自身のことを振り返った。

地元の金融機関。入社式は1969年(昭和44年)3月5日。

当日は自宅から父のバイクに乗せてもらい、同じ入社式に出席する従妹の家まで。早朝の冷え込みに身が引き締まったことを思い出す。それから叔父の車で駅まで送ってもらった。

 

同期(総合職)は、大卒26名・高卒32名 計58名。

入社式が終わると、研修が始まった。宿舎では畳の大部屋に雑魚寝。これは柔道部の合宿で慣れていたので、まったく苦にはならなかった。苦労したのはソロバン。当時のソロバンは今も持っている。

大学の卒業式は3月27日。研修の途中で出席したので、あまり感慨がない。

 

全員の記念写真と名簿を取り出して眺めた。

思えばアッという間に過ぎたように思える。一睡の夢のようでもある。

大卒同期では、すでに6名が亡くなった。中途退職者(4名)を除く22名中、実に3割近くが今はこの世にいない。

 

当時は高度経済成長の途上で、地元志向の就職は少なかった。地域創成が大きな課題の現状とは隔世の感がある。

新人達に声を大にして言いたい。「健康が一番だよ!」

 

<内館牧子「終わった人」を読み、共感した言葉>

・若い頃に秀才であろうとなかろうと、美人であろうとなかろうと、一流企業に勤務しようとしまいと、人間の着地点って大差ない。

・着地点に至るまでの人生は、学歴や資質や運などにも影響され、格差や損得があるだろう。だが、社会的に「終わった人」になると、同じである。

横一線なら何のためにガリ勉をし、あがき、上を目指したのか。もしも「最後は横一線」とわかっていたなら、はたしてそう生きたか。

・今になると地元の活性化に終生尽くし、感動するという生き方もあったのだと気づかされる。

80歳の3月

私にとって3月のキーワードは「決断」と「戦争」だろう。

まず、決断。

懸案の「墓じまい」の手続きをスタートさせた。

早朝目が覚め、不安と焦りが交錯し、「墓じまい」を早くしなければ、との衝動に駆られることが増えたからだ。80歳という年齢が、「元気なうちに・・・」と急かせるのだ。

業者に見積もりを依頼し、「改葬許可証」は自分で申請し取得した。

5月末を目途に終えるつもりだ。

 

次に、戦争。

米国・イスラエルが突然、イランを攻撃してから1カ月が過ぎた。地上戦の可能性など、緊迫の度は強まるばかりだ。

イランがホルムズ海峡を封鎖したことから、原油が急騰。1バレル100ドル台を付けた。日本ではガソリン価格が一気に190~200円に値上がりし、石油国家備蓄を一部放出する事態に。

1973年のオイルショックを想起する。このままではナフサ不足など影響は甚大だ。

早期の停戦を願うばかりだが、そういえばトランプ大統領も80歳の老人・・・。

 

上記のほか、

①テニスでアキレス腱付近を傷め、散歩も控えることを余儀なくされた。ようやく回復したが、「無理をしない」ことを改めて肝に銘じた。

②洗濯機を買い替えた。古い洗濯機は「NATIONAL」ブランドの年代物。11年前に亡くなった母が使っていたものだ。

長い間ご苦労さん!ありがとう!