
読売新聞「旅を旅して」(6月14日)で、記者が塩の街・赤穂市を訪ねた記事を読み、昭和30年前後の故郷の塩田に「よく似ている」と思った。毎年、ギラギラ照りつける太陽とともに懐かしく思い出す光景でもある。
瀬戸内の山口湾沿いで育ち、老若男女で賑わう海と活気のある塩田は日常だった。
遠浅で干満の差が大きい海には多種多様な生物がすみ、塩が引くと広い干潟が現れた。
家族や友達とアサリや車エビ、たこなどを獲り、捨て石の釣り場でチヌ、ハゼ、ウナギ釣りに夢中になった。
入浜式塩田で「浜子」と呼ばれる人達が炎天下、砂を撒き、寄せ集め、海水を運ぶ姿は子供心にも苛酷に映った。やがて竹の枝で組んだ枝条架による流下式に変わり、昭和35年頃には地域の収容産業だった塩の生産は廃止された。
その後を追うように、海の生物も徐々に姿を消したが、なかでも汚染に強いと言われるアサリの消滅はショックだった。
時代の変化に乗り遅れた塩田の跡地には今、一部に太陽光発電設備があるものの人影はない。海の再生も容易ではない。
高度経済成長のなかで、失ったものの大きさを改めて実感している。










