定年おやじのセカンドライフ

生きている実感はありますか?

海と塩田の思い出

読売新聞「旅を旅して」(6月14日)で、記者が塩の街・赤穂市を訪ねた記事を読み、昭和30年前後の故郷の塩田に「よく似ている」と思った。毎年、ギラギラ照りつける太陽とともに懐かしく思い出す光景でもある。

 

瀬戸内の山口湾沿いで育ち、老若男女で賑わう海と活気のある塩田は日常だった。

遠浅で干満の差が大きい海には多種多様な生物がすみ、塩が引くと広い干潟が現れた。

家族や友達とアサリや車エビ、たこなどを獲り、捨て石の釣り場でチヌ、ハゼ、ウナギ釣りに夢中になった。

 

入浜式塩田で「浜子」と呼ばれる人達が炎天下、砂を撒き、寄せ集め、海水を運ぶ姿は子供心にも苛酷に映った。やがて竹の枝で組んだ枝条架による流下式に変わり、昭和35年頃には地域の収容産業だった塩の生産は廃止された。

その後を追うように、海の生物も徐々に姿を消したが、なかでも汚染に強いと言われるアサリの消滅はショックだった。

 

時代の変化に乗り遅れた塩田の跡地には今、一部に太陽光発電設備があるものの人影はない。海の再生も容易ではない。

高度経済成長のなかで、失ったものの大きさを改めて実感している。

熊本地震と保険

熊本がまた大地震に見舞われた。

7月28日午後4時27分頃、熊本県熊本地方が震源。最大震度7。

 

この時間大地震が発生したとはつゆ知らず、車を運転し妻と自宅に向かっていた。

帰宅したのは4時30分過ぎ。帰宅直前の出来事だった。

 

テレビをつけず新聞を読んでいた5時前、携帯が鳴った。生々しい「地震の恐怖」を伝える、福岡市内に住む職場の先輩Nさんからだった。この電話で初めて地震のことを知った。

「マンションの7階にいたが、激しい横揺れが続き立っておれなかった。建物が倒壊する恐怖に襲われた。こんな経験は人生で初めて、怖かった・・・」

 

当地もかなり大きな揺れが続いたことを知り、驚いた。自宅の中は普段通りで、倒れたり落ちたりしたものはなかったからだ。

猛暑の中、被災者の不安はいかばかりか。救済がスムーズにいくことを願うばかりだ。

 

こうした自然災害は、いつどこで発生しても不思議ではない。

先週末、火災と地震保険の今後5年間の契約書をポストに投函した。この後を追うような地震だった。

保険料が大幅にアップしたので迷ったが、保険料を減らすことより、被災リスクの大きさを重視しておいて良かった!地震の惨状を目の当たりにして、保険で得られる「安心感」は何物にもかえがたい、と改めて思った。

 

雨の日に心和む花々とSBG株主総会

うっとおしい雨の日々にふと目をやると、我が家にもいろんな花が咲いている。

アヤメ、アジサイ、グラジオラス、ユリ・・・。

日頃は気にももとめない雑草の花にも、心が和らぐ。

 

 

6月は上場会社の定時株主総会が集中した。

24日開催されたソフトバンクGの総会をネットで視聴。孫正義会長兼社長の生の声は軽妙で自信に満ち、痛快でさえあった。

「AI革命は始まったばかり」「引退の暇はない」「14年後NAV1000兆円が目標。必ずやります」「4方面からAI業界を攻め、着々と布石を打っている」・・・。

自身が創業した以来のことやお父さんが亡くなられた際のことなどをちりばめた話は、株主を「孫ワールド」に確実に引き込んでいた。

AIの今後についてもわかりやすく説明があり、参考になった。

最期に強調されたのが、「お金儲けの為だけではない。社会に役立て幸せな生活実現に貢献すること」。

うっとおしさを吹き飛ばす、素晴らしい生の声だった。

孫さん、期待しています!

 

44年間の墓の歴史に幕(墓じまい)

44年間続いた我が家の墓の歴史に、静かに幕が下りた。

 

5月18日(月)、夏のような陽ざしのなか、お坊さんに供養してもらった。我々夫婦と妹夫婦4人が手を合わせた。

母が苦労して墓を建てた頃のことが、お経の間ずっと脳裏に浮かんだ。あれから44年。

米国研修から帰った時、母と妻と3人で訪れた写真が懐かしい。妻は長男を身ごもっていた。愛犬・ランちゃんともよく来た。彼岸花が道路沿いにずらりと咲いた光景が忘れられない。

最近は早朝一人で、散歩をかねてよく墓参りをしていた。

近距離だが「もう頻繁に来ることはあるまい」と思うと、一抹の寂しさを覚えた。

 

6月1日(月)、妻と撤去後の更地を見たが、感無量というより淡々と受け止めた自分に少し驚いた。

 

6月8日(月)業者が新しい骨壺に入った遺骨を持参。

57年ぶりに見た父の骨、11年ぶりの母の骨は、きれいに乾燥されていた。骨は当時のままのように見えた。

火葬場で骨を拾った時の記憶が蘇り、「人間すべて骨になる」ことを改めて実感した。

 

その日のうちにお寺に行き、我が家の納骨堂の前でお坊さんに拝んでもらい、自身の手で納骨した。父母の「終の棲家」だ。長く懸案だった墓じまいが終わり、夫婦でホッとした。

 

「思い出のよすが」が一つ消える寂しさはある。母方の墓も今までのようには管理できないだろう。

最近逝ったA君の納骨堂にも手を合わせた。「死んだらつまらん」母がポツリと漏らした言葉が胸に響く。

 

母が「永遠に続く」と信じて建てた墓を、時代の流れのなかで閉じることになった。

その変化を静かに受け止めている。

 

13年前のツバメの巣

晴天の5月中旬、開けていた窓からツバメが家の中に入って来た。

外に追いだしてもすぐに戻って来る。

 

やがて古い巣を見つけたようで、「キュキュ・・・」と泣きながら、巣のそばに止まり嬉しそうに動かない。そんな様子を何度も繰り返した。

妻は「いやされるね」と目を細めながら、「ツバちゃん、ここはダメよ!」と優しく声をかけていた。

 

その巣は13年前、ツバメが子育てをしたまま残していたものだ。

最初のヒナ9羽が無事に巣立ち、二回目の子育ての最中に悲しい出来事が起きた。

ヘビに襲われたヒナ達を守れなかったのだ。当時のことは、2013年8月30日のブログに詳しく書いている。

 

翌朝もツバメは5時前から外の庇に止まり、大きな声でさえずっていた。

「早く家の中に入れて!」と訴えているかのように。

観察している私との距離は、わずか数メートル。

「入れてあげたいけれども、出来ないんだよ」と心の中でそっとつぶやいた。

 

※ツバメは2年程度の短命だそうだ。

 年々ツバメの数が減っている気がする。

 休耕田が増え、田植えの済んだ田んぼをツバメが飛び回る光景も少なくなった。      日本の原風景が失われるのは寂しく、残念だ。

 

仏壇のローソクの火

毎朝仏壇の前に座り、ローソクと線香に火をつけて手を合わす。

 

今朝も左右のローソクに火を灯した。どちらも残り少なく、短くなっていた。

「般若心経」を唱えていると、左の火がふっと小さくなりスーと消えた。

右側の火が消えるのを、しばらく見つめていた。

なかなか消えず、最後の力を振り絞っているように揺れていた。

やがて、その火も静かに、ゆっくりと消えていった。その数分間が心の奥に響いた。

 

人間の最期にどこか似ている。そして今の自分の人生にも重なる気がした。

切なさが静かに広がった。

 

老年の葛藤

桜、ツツジそしてフジの花の季節が猛スピードで駆け抜けた気がする。

重苦しいものが常に心をおおい、何をすることもなく一日が流れてゆく。自身に残された時間、元気な時がわずかになっている、というのにだ。

 

この年まで生きている「幸運」と明日の「不安」が交錯する。

深夜に目が覚めると、不安と孤独に苛まれることが増えた。

このところ、懐かしい友人・知人が出てくる夢もよく見る。気楽に話せ、相談できる人の多くが亡くなったからだろう。

気が付くと、妻以外の誰とも話さない日が多い。

こんなはずではなかった!

 

今は亡きMさんが公園の坂道の途中に、ビルケースを台にして作られたイスが壊れかけていた。愛犬をつれたMさんが毎日のようにここに座り、坂を上って来る人に声掛けをしていたことが思い出される。当時は愛犬の散歩で通る人が多かった。

 

昔、このイスに腰かけて我が家の愛犬と満開のツツジをバックに写真を撮った。若かった・・・。

Mさんの言葉を思い出す。

「第二の人生、こんなはずじゃーなかった」(認知症の奥さんの介護が必要となり)

「奥さんを大事にしなさいよ!」

今は実感として胸に迫る。よくわかる。

 

俺にはまだやらねばならない「終活」がある。一日を無駄にせず生きてゆこう。