定年おやじのセカンドライフ

生きている実感はありますか?

77歳での運転免許証更新



昨年下旬、運転免許証を更新した。

優良運転者の証しである「ゴールド」免許証をながめながら、「無事故・無違反」を続けることを心に誓った。

 

加齢に伴う運転技能の低下は否めない。そこで、今後の運転に役立てるため、これまでの運転体験を振り返った。

まず、「ヒヤリ・ハット」の体験を思い出し、ノートに内容と反省点を書きだした。

書き始めると次々に、頭の奥に眠っていた記憶が呼び覚まされ、一瞬の違いで事故を免れたことに改めてゾッとした。「運が良かった!」とつくづく思う。

書くことで、反省点が再認識できた。

 

次に、高齢者講習でもらった安全運転の教本をじっくり読んでみた。「慣れ」や「過信」により、知らず知らず慎重さが失われていることにハッとした。

「声出し確認」「雨の夜間運転は控える」などの基本を、これまで以上に徹底しようと思う。

 

思えば運転免許を取得してから57年。

奇しくも、当事の交通安全のお守りがついた自動車学校の終了証を本棚の隅に見つけ、「初心に帰れ」と言われた気がした。

 

次の更新時には80歳になるが、老いて初めてわかることも多い。

心身の衰えを補う運転に心掛け、「安全運転」を続けたい。

 

 

 

2024年 波乱の年明け




2024年(令和6年)、波乱の年明けだ。

元旦夕、震度7.6の能登半島地震が発生。元旦の家族水入らずの場を、地震津波が襲ったのだ。NHK女子アナの「津波襲来とすぐに避難」を呼びかける、絶叫に近い声が今も耳に残る。

 

二日夕には、羽田空港JALと海保機が衝突、炎上。海保機は、被災地に支援物資を運ぶため飛び立とうとしていたという。なんという皮肉。言葉もない。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、被災者の皆様にお見舞いを申し上げます。

 

今年の目標は「夫婦共に健康であること」に尽きる。

4月には「金婚式」を迎える。結婚時、社内報に妻が「共に白髪の生えるまで」と投稿していたことを思い出した。ここまで二人元気で来られたことに、感謝したい。

 

歌人俵万智さんが、還暦を迎え「平凡な日常を丁寧にいきることこそが大事、と再確認しました」と書いておられた。まさに同感!

 

因みに、今年の年賀状には次のような近況を記した。

<公職を3月にすべて辞め、自由な時間を気楽に過ごしています。

 楽しみは、夫婦で畑仕事をしながら、草花や鳥、昆虫など自然の営みに触れることです。

「般若心経」を毎朝仏前で唱えることを始めました。

夏には白内障の手術をし、「良く見える日常」を取り戻すことが出来ました。

残りの人生、もうひと頑張りできそうです。>

 

 

 

64冊目の自分史(2023年回顧)

総じて「幸運」に恵まれた一年だった。夫婦共に「元気」に過ごせたことに感謝。

 

高齢夫婦の単調な日常にも、印象に残る「喜怒哀楽」はある。

最大の「喜」は、白内障手術で「良く見える日常」を取り戻せたことだ。前回は不安だった車の免許更新手続きが安心してできた。視力検査での「ハイ、合格です!」の言葉が今も耳元に残る。

術後、趣味のテニスは中止を余儀なくされたが、無理をしなくなったせいか悩みのひざ痛が劇的に改善するという喜びもあった。

残りの人生、もうひと頑張りできそうだ。

 

「哀」は今年も大切な友人を亡くしたことだ。M君、Hさん、お世話になりました。

 

「楽」は、3月末で残っていた公職をすべて辞め、だれにも邪魔されない時間を、気楽に過ごせるようになったこと。

 

「怒」は政治だ。自民党の派閥の裏金疑惑には、憤りしかない。政治家としての志や倫理観はどこにいったのか?

 

これらを日記に書くことで、一日をリセットし、翌朝は新たな気持ちでスタートするよう努めてきた。明日で2023年(令和5年)の自分史(日記)が完成する。

くる年も穏やかな日常が続いてほしい。

地籍調査

10月から山口市による地籍調査が始まり、わが家は宅地・畑・田んぼの一部が対象になった。境界を確認するための「立ち合い」に3度参加した。

地籍調査は国土調査法に基づき、一筆ごとの土地の境界を確認し、正しい位置、地番、地目、面積などを明確にする調査だ。

隣接の地権者と畔や子供の頃の記憶をたどりながら、境界を確認した。

 

話をしていると、どの家も家族総出で農作業をしていた光景が蘇った。田植え、稲刈り、裏作の麦やナタネの収穫。周囲は動力脱穀機を使うなか、父母と足踏み脱穀機を必死に踏んだ。ナタネのさやを棒でたたいて黒い小さな実を収穫した・・・。

春は子ヤギが生まれ、レンゲを植えたこの田で一緒に遊んだ。れんげのひんやりした感触と子ヤギのやさしい目が忘れられない。

 

地籍調査を機に、亡き母が風呂敷に包み大切に保管していた登記関係書類を整理した。

わが家の「土地の歴史」は、昭和23年7月に亡き父が山口県から購入したことに始まっていた。「自作農創設特別措置法」に基づく売渡、いわゆる「農地改革」によるものだ。

来年4月から相続登記が義務化されるが、父が53歳で亡くなった際、母が相続登記をきちんとしていたのは、ありがたかった。懐かしい父の署名がある書類から、戦後の食糧不足からスタートした父母の苦労が偲ばれた。

 

今回の調査はありがたいが、雑草が生い茂る、子供の頃とは様変わりした田んぼが目立つ光景を見ると、複雑な心境だ。

 

柔道部同期会「四四(シシ)の会」

秋晴れの10月1日(日)、12時、福岡市内の飲食店に同期6名に1年後輩2名を加えた8名が集まった。

大学時代、道場で汗を流したかけがえのない仲間だ。

全員が集まるのは18年ぶり。それまでは44年卒業に因み「四四(シシ)の会」と名付け、家族ぐるみの付き合いを続けていたが、その後は全員での会合が難しくなった。

思えば、結婚を直前に亡くなったキャプテンK君の久留米の実家を皆で尋ね、仏壇に手を合わせたのが最後だった。

 

最近、近しい友人が次々に逝き寂しい思いをしていたので、皆の元気な顔を見てとても嬉しかった。

Y.K君は20年に及ぶ壮絶な闘病経験を語った。医師からは「余命半年か1年」と宣告されたが諦めず、病魔を克服。医師が「20年間の闘病生活後肝がんから生還した男性」と題した文章をある機関誌に載せたほどだ。彼からこのコピーをもらった。

 

K.K君は元官僚らしい生活スタイルを開陳。80歳までの人生計画を立て、それを月・日別に落とし込んだ目標に沿った生活だ。実績は細かく記録、反省している。

パソコンで管理している記録を皆に見せてくれた。

 

東京から出席のK.I君。杖が必要と聞いたので心配してしていたが、元気そうで安心した。本人曰く、柔道で痛めた首が痛み、頻尿もある。穏やかな風貌と話しぶり。「いい年をとっているな」と感じた。

 

T.Y君は退職後農業に打ち込む。早くからセカンドライフは農業と決めていただけあり、田舎生活に満足している様子。

 

駆けつけてくれた後輩達も合唱団などの趣味を楽しんでいた。現役時代とは違う穏やかな雰囲気のなかで、予定の3時間はアッという間に過ぎた。

締めは幹事のK.K君。合宿の打ち上げ時の恒例だった部歌の「巻頭言」を朗々と発声、全員で部歌「人生流転」を歌い散会。

 

明日はどうなるかわからない年齢となり、貴重な再会だった。これもこまめに連絡を取ってくれた彼のおかげだ。ありがとう!

今回の案内状には「最後の会合」とあったが、「また集まろう」という声がすでにあがっている。

案内状は我々の心境をよく表していた。文面の一部は次のとおり。

「80歳が近づきけじめとして、最後の会合を開こうと思います。人生の多感な時期にたまたま、柔道部で出会い、汗を流した者同士、出会いに感謝し、人生に感謝し、そして別れを感謝で終えようと考えています。・・・。」

 

 

 

また一人親友が逝った

9月4日夜9時、親友Kちゃんから電話があった。「Mが死んだ!」

9月3日死去、享年78歳

 

我々三人は高校時代に出会い、社会に出てからも親しく交流していた。

M君宅で昼食を食べながら久しぶりに旧交を温めたのは、5月28日だった。

あれから3か月余り、まさか亡くなるとは・・・・。

 

あの日M君は、痩せてはいたが元気そうに見えた。

奥さんも同席し、思い出話などで盛り上がった。

「免許証の返還を医者から勧められ、どうしようか悩んでいる。講習は済ませている」と書類を見せてくれた。自分も年末に更新手続きが必要なので、印象に残っている。

 

振りかえれば、今年もらった年賀状には「そろそろ会う機会をもちましょう」と自筆の添え書きがある。

それを見て電話をした。朝市のお世話や田んぼの草刈りなどで充実した日々を過ごしているものと、てっきり思っていた。が、思いがけない言葉に絶句した。「仕事は中止、最近は病院通い」「体重が20キロも減ったが、原因は不明」

声も弱々しく、心配になった。

 

実は亡くなる10日前、メールを入れていた。だが返信はなく、一抹の不安を感じていた。

 

あの日皆で会食をしていて、本当に良かった。

「年をとることは多くの悲しみにたえること」この言葉がズッシリと心に響く。

                                    合掌

 

 

 

 

夏の終わりの「ヤンマ」が愛おしい

9月下旬、家の網戸でガサガサと音がした。

「ヤンマ」が外に出ようともがいていたのだ。季節外れなので「まだいたの?」という印象。

窓を開け放っていたので、部屋の中に入ったようだ。

 

逃がそうとつかむと、三度手のひらを噛まれた。必死だったのだろう、とても痛かった。手を放すと元気よく飛び去った。「元気でナー」と見送った。