定年おやじのセカンドライフ

生きている実感はありますか?

あげはちょう

庭木の花にいろんな蝶がやって来る。あげは、もんしろ、もんき・・。

木々の空間にはクモが高所から低所まで至る所、網を張り巡らせている。

以前、おおきなアゲハ蝶が網にかかりバタバタもがいていたのを、逃がしてあげたことがある。クモの糸は目に見えぬくらい細いが、粘着力があり大きな獲物もがんじがらめにされやすい。

 

さくら葵の花から離れない「あげはちょう」がいた。羽のきれいさに惹かれ、写真に収めた。「クモの巣にかからないようにね」と言いながら。

 

 

雷グモ



晩夏、クモが至る所に網を張っている。

実家の勝手口そばの植木に、黄色(というより金色)と黒の縞模様が目立つ大型のクモが網を張っていた。

体長約3センチ、8本の手足を伸ばすと5~6センチはあろうか。少々怖い印象。

 

風に揺られる網に張り付いている姿は、まるで「X」の文字のようだ。

獲物が網にかかるのを、ただひたすら待っている。

翌日も同じ姿勢でジッとしている。獲物は見当たらず、枯れ葉がかかっているのみ。

 

出入りするたびに目に付くので、親しみがわいてきた。

子供の頃、確か「雷クモ」と呼んでいたナー。雷様のパンツの縞模様と似ていたからだろか。

ネットで調べると、正式には「コガネグモ」のメスのようだ。

 

お前は「待ち」の一生か?

忍耐の夏




 

「忍耐」の夏だった。

異常な酷暑のなか、左ひざの痛みが再発すると共に白内障の両目の手術を受けたからだ。

 

5月下旬、テニスで左膝が悪化、まともに歩けなくなった。

1週間後には、田んぼの地権者が共同で行う草刈り作業を控えていた。

広大な傾斜地を数十人で刈る作業。足を酷使する痛みに耐えて作業を終えた。

次の日曜日も足が最期までもつか心配だったが、何とかひざは耐えてくれた。

手術の前に重労働の仕事が済んだのは幸運だった。

 

6月下旬から7月上旬、片目ずつ計2回の白内障手術を日帰りで受けた。

手術の翌朝、眼帯をとってもらう直前の「不安」と直後の「喜び」は、生涯忘れないだろう。

幸運にも、視力の回復は期待以上だ。嬉しい!「人生が変わった」という表現も大げさではない。

これも院長先生とスタッフの方々のおかげだ。心から感謝している。

 

昔の視力が戻ったことで、ポジティブに生きる力がわいてくる。

ひざ痛もかなり回復し、新たな生活スタイルも定着した。

 

8月31日、待望のまとまった雨が降った。

散歩中、二羽のツバメが低空飛行しながら虫を捕っていた。お盆を境にツバメの姿をばったり見なくなったので、越冬ツバメにならないか心配になった。

 

 

小説「二十四の瞳」



今年の夏は特別に暑い。

お盆のさなか、壷井栄の名作「二十四の瞳」を手に取った。一時の暑さしのぎのつもりだったが、どんどん引き込まれた。

 

大量の古本を処分したなかで、残しておいた児童向け文庫本だ。

半世紀以上前の大学1年の春休み、ユースホステル(YH)サークルの男女11人で、ローカル線とバスを乗り継ぎ、YHに宿泊しながら早春の四国路を巡った。

この本を処分できなかったのは、小豆島の「二十四の瞳」の銅像を背景に全員が横一列に並んで撮った写真を、今も時折見返しているからだ。

 

この本の紙は黄色がかっていたが、随所に挿絵があり難しい漢字にはルビがふってあるほか、言葉の解説もあるなど、児童向けの編集が新鮮だった。

 

戦前、戦後の庶民の生活が、自身の経験と重なった。

懐かしい言葉にも出会った。家の手伝い、子守り、ぞうり、伝馬船、大八車・・・。

この時代を生き抜いた父母の苦労が偲ばれた。

現在の世界情勢は当時と酷似している。ガラス細工の「平和の危うさ」と、「戦争の悲惨さ」を現実のこととして考えさせられた。

絶対に戦争はしてはならない!

しばし猛暑を忘れた。

 

 

 

お盆のさなか、昆虫たちとの心和む出会い

2023年8月14日:すぐに汗がふきだすとても暑い日だった。

■トンボ

妻と「今年はトンボを見かけないね」と話していた。

その時、その会話を聞いたかのように、麦わらトンボが部屋に入ってきた。

外に出ようとするも網戸に阻まれ、ガサガサともがき始めたので、外に逃がしてやった。

 

しばらくして、外に干していた洗濯物に止まっているのを発見。「まだここにおったん!」と声をかけたが、逃げようとしない。

風に吹かれて揺れるシャツにジッと身をゆだねている姿は、まるで「これは私のシャツだ」と言っているかのように思えた。

妻と二人で写真を撮った。1時間後見ると、姿はなかった。

 

翌日の早朝、目覚めて頭に浮かんだ。「あれはランちゃんがあの世から帰ってきたのではなかったか?」妻に話すと「どおりで、お父さんのシャツにしがみついていたね」

 

■極小かたつむり

妻がとても小さいカタツムリを青じその葉の上に載せてきた。
畑から収穫した青じその葉の裏にいたという。こんな小さなカタツムリを見たのは初めてだった。

これも写真に収め、そっと木陰に帰した。

 

■クモ

クモがあちこちに網を張っている。

この糸はよくくっつくので邪魔なのだが、朝日に照らされたクモの糸はとても美しい。まさにキラキラ輝く芸術品だ。

獲物はかかっていなかった。

 

 

 

世界初の認知症治療薬

日本企業による世界初の快挙だ。

治療が困難だったアルツハイマー病で、日本の製薬会社などが開発した治療薬が米国で7月6日正式承認された。日本では9月末にも承認が判断される見通しという。

 

認知症を発症した母の介護では、人間としての尊厳が失われていくのを見るのは辛かった。「この病気が憎い」「認知症だけはなりたくない」と何度も思った。

それだけに、アルツハイマーの患者や家族にとって待望の朗報だろう。

 

先のコロナワクチン対策で我々が目の当たりにしたのは、海外の製薬メーカーに頼らざるをえない頼りない現実だった。とても歯がゆかったし、悔しくもあった。

 

この反省を踏まえ、異次元の取り組みとスピードでこの快挙を活かしてほしい。

薬価、事前検査など多くの難しい課題はあるが、官民挙げてこれを乗り越え世界発にふさわしい医療体制の構築を目指してほしい。

認知症リスクの高い高齢者として、認知症になつても「誰もが安心して治療が受けられる社会」の早期実現を切望している。

コロナワクチンの二の舞だけはしてほしくない。

ため池

わが家の田んぼがある集落では、農業用水を山の麓に点在する「ため池」に依存している。それぞれのため池は、そこから利水する田んぼの所有者と耕作者が総出で、周辺の草刈りと水路の清掃を毎年、田植え前に行っている。

 

6月上旬の日曜日、二週続けてこの作業に参加した。二つのため池から利水しているからだ。ため池の名前は、「大池」「大江池」。名前のとおり周囲が数百メートルもある大きな池だ。法面は広く、傾斜がきつい。

 

いずれも参加者は30~40人。この大半は我が家も含め耕作していない。

AM8時、一斉に草刈り機で伸び放題の雑草を刈り、山から延びる水路に堆積した落ち葉と泥を取り除いた。約2時間後作業は終了。

ため池の周囲がきれいになり、水路の水が勢いよく流れ始めた。疲れたが気持ちのいいものだった。

 

法面の草刈りは、足の踏ん張りが効かないと転落の危険があるので、我々高齢者にはかなりの重労働だ。今年は膝に不安を抱えていたが、「なんとか耐えてくれて」ホッとしている。

 

「米作りをやめた」「新たな耕作者が見つからない」などの話題が増えた。

米価が値下がりし採算が取れなくなった、という。大型農機の寿命がきたが、買い替えの高額投資はもうできない、とも。

 

休耕田が増えたため水の需要は年々減っているが、ため池は豪雨対策や生態系の維持などに大きな役割を果たしている。

先人の苦労と知恵に思いを致すと共に、田んぼを所有している負担の大きさを実感している。