定年おやじのセカンドライフ

生きている実感はありますか?

2021年を振り返る

2021年1月、自身は後期高齢者になったが、病気もせず元気に過ごせた。夫婦共に「健康」であったことに感謝している。

 

変化の乏しい老夫婦の日常の中にもそれなりの「喜怒哀楽」があった。

3月、孫娘が希望高校に合格。8月、東京パラの視覚障害ラソンで旧知の道下美里さんが金メダルを獲得。12年前、近くの支援学校グランドで一緒に走っていたことが夢のようだ。当時と変わらぬ、ひまわりのような「笑顔」がひときわ輝いていた。多くの人の心をパッと明るくさせたことだろう。おめでとう!

 

一方で、友人・知人の訃報が相次いだ。

なかでも青春時代を共有したK君の訃報は大ショックだった。毎朝、空を見上げ「なんで早く死んだ」と心のなかで叫んでいる。日増しに寂しさが募る。

 

車の運転は「無事故・無違反」で、母の7回忌も無事済ませることができた。

来年は、趣味のテニスや投稿を楽しみ、妻と畑の土に親しみながら、人生の店じまいを進めるつもりだ。

 

 

親友の死を悼む

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親友のK君が逝った。75歳。

突然の訃報に驚いた。信じられなかった。

 

多感な青春時代を共有した、最も信頼できる親友だった。

なかなか会えなくても「彼がいる」と思うだけで、元気が出た。

大学入学時、同じ下宿で出会い、なぜか気が合い、生涯の親友に。

年賀状には「常在戦場と心得、体を鍛えている」といつも書かれていた。

去年8月もらった葉書には「コロナ禍でもジムに通っている」「実家のある福岡に帰る際は是非会いたい」と記されていたのだが・・・。会いたかった!

 

本人はもちろんご家族の無念は察して余りある。

人生の宝物ともいえる、かけがいのない友を失い、とても残念だ!寂しい!

時折、何とも言えぬ喪失感に襲われる。

振り返れば、これまで多くの親友を失ってきた。幼なじみ、中学・高校の同級生・会社の同期・・・。

 

「長く生きることは、一人孤独に耐えることでもある」

人生の無常を感じながら、今年11月99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんの言葉をかみしめている。

 

 

 

 

 

今年もタキちゃんが飛来

わが家の畑には毎年、晩秋、渡り鳥のジョウビタキが飛来する。

11月初旬、妻と畑を耕しているとそばのロウバイの木に止まり「ヒッ、ヒッ」と鳴くジョウビタキを見つけた。妻が「タキちゃん、お帰り!」と声をかけた。

例年より半月あまり遅い飛来だった。

 

胸から腹にかけた橙色が特徴のタキちゃんは、畑を縄張りとして早春まで過ごす。いつもポツンと1羽でいる。どうも子育てを日本より北方でするからのようだ。

 

広さが約100坪の畑はあえて耕運機を使わず、体力づくりを兼ねて鍬で耕している。

作業を始めると、タキちゃんはどこからか現れる。掘り起こされた土から出たミミズなどを狙っているのだ。2-3メートルの距離でもあまり人を恐れないので、時には耕すすぐ後をついてくることもある。

 

冬の到来を告げるタキちゃんは、我々夫婦の畑仕事を楽しくさせてくれる。

年を重ねたせいか、遠路はるばる今年も来てくれたことがとても嬉しい。

 

母の7回忌

2021年9月28日(火)、母の7回忌法要を実家で行った。

母が亡くなり9月30日でまる6年。生きていれば10月9日で100歳になる。

参会者は我々夫婦と妹夫婦の4人。コロナ禍で全員がマスク姿。

 

妻の植えた庭のコスモスは満開。時折秋風が仏間を吹き抜けるなか、若い僧侶の読経が静かに流れた。

 

母の遺影のそばに掲げている愛犬の写真を見て僧侶が、「ワンちゃん、亡くなったのですか?」と聞いた。「そうなんです。一緒に拝んで下さい」と答え、しばしペットの話題になった。

「墓じまい」の悩みを僧侶に相談した。今は墓に納骨しているが、子供達は遠方にいるので今後墓の管理が難しくなるからだ。数年前お寺が建てた納骨堂を購入しており、あとはいつ踏み切るか、なのだが。

母の部屋も亡くなった時のままだ。母の日常が染み込んでいるので、なかなか整理・処分の踏ん切りがつかない。

7回忌をきっかけに、実行しようと、決意した。

 

「コスモスがきれい」「鯛の吸い物がおいしい」と言われ、妻はとても喜んでいた。

4人全員が70歳代。6年後の13回忌にも

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元気で集まれればいいのだが・・・。

 

 

回想を楽しむ

週刊誌の、人生、最後は「回想を楽しむ力」を興味深く読んだ。

年を重ねるにつれ、パソコンに保存したお気に入りの写真を見ながら、思い出に浸ることが増えた。

「回想」に関心をもったのは、古い白黒のネガフィルムをパソコンに保存・整理した際、中学・高校時代に撮った写真が出てきたことがきっかけだ。

 

人物よりもその周囲や背後に写った昭和30年代のモノクロの農村風景は何度見ても飽きない。紙障子の玄関、小屋から頭を出したヤギやにわとり、今も残る大きな柿の木、隣の茅葺き屋根・・・。

亡き父母の思い出と共に、懐かしい当時の記憶がどんどん蘇り幸せな気分になる。

 

この記事を読み、抱いていた懐古趣味というマイナスイメージが払拭され、「回想」が老いを前向きに生きる貴重な手段であることを確信した。

 

 

 

天国のランちゃんへ

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ランちゃんが逝って、はや10カ月。。

今年も公園に行く坂道にある、桜の大木に花が咲きました。

例年より早く、もう満開です。

 

この桜を見るとランちゃんが無性に恋しくなります。

楽しかった日々が蘇るからです。散歩の途中、二人で毎年見上げ、「きれいだねー」と言っていたよネ。

ランちゃんといつも一緒だったので、一人の散歩は寂しいものです。何か忘れ物をしている気分になります。だが父さんの胸のなかには、今もランちゃんが生きているよ。

 

嬉しいニュースがあります。ランちゃんを可愛がってくれた彩ちゃんが志望の高校に合格しました。天国からの応援ありがとう!

 

 

 

 

2020年はわが人生の転機だった

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2020年は、3月末に10年間勤めた第二の職場を退職、5月末には16年間連れ添った愛犬を看取り夫婦で涙した。

社会との「接点」と良き「相棒」を失った身に、コロナ禍での外出自粛が追い打ちをかけ,言いようのない「喪失感」に襲われた。

救われたのは、コロナの感染を気にせずにすむ趣味があったことだ。

一つは株式投資だ。生きた経済に接するため、これまでにも増して一般紙と経済紙をじっくり読み、マーケットの反応をチエックした。

事業環境の大きな変化に見舞われた業界や企業の研究は、単調な生活に良い刺激を与えてくれる。一方で、目がすぐに疲れ好きな読書もあまりしなくなった。

もう一つは、農作業だ。妻と畑で野菜作りに励むとともに、耕作放棄の田んぼのに生えた伸び放題の雑草を刈った。

草刈り機での長時間の作業は運動不足の解消に役立ったが、高齢による体力の衰えを改めて実感した。

自らに残された時間は長くないことを強く意識し始め、年賀状には次の一文を添えた。

「今年は後期高齢者になります。人生の最終章を「一日一生」の精神で、楽しく、精一杯生きるつもりです」