定年おやじのセカンドライフ

生きている実感はありますか?

今年もタキちゃんが飛来

わが家の畑には毎年、晩秋、渡り鳥のジョウビタキが飛来する。

11月初旬、妻と畑を耕しているとそばのロウバイの木に止まり「ヒッ、ヒッ」と鳴くジョウビタキを見つけた。妻が「タキちゃん、お帰り!」と声をかけた。

例年より半月あまり遅い飛来だった。

 

胸から腹にかけた橙色が特徴のタキちゃんは、畑を縄張りとして早春まで過ごす。いつもポツンと1羽でいる。どうも子育てを日本より北方でするからのようだ。

 

広さが約100坪の畑はあえて耕運機を使わず、体力づくりを兼ねて鍬で耕している。

作業を始めると、タキちゃんはどこからか現れる。掘り起こされた土から出たミミズなどを狙っているのだ。2-3メートルの距離でもあまり人を恐れないので、時には耕すすぐ後をついてくることもある。

 

冬の到来を告げるタキちゃんは、我々夫婦の畑仕事を楽しくさせてくれる。

年を重ねたせいか、遠路はるばる今年も来てくれたことがとても嬉しい。

 

母の7回忌

2021年9月28日(火)、母の7回忌法要を実家で行った。

母が亡くなり9月30日でまる6年。生きていれば10月9日で100歳になる。

参会者は我々夫婦と妹夫婦の4人。コロナ禍で全員がマスク姿。

 

妻の植えた庭のコスモスは満開。時折秋風が仏間を吹き抜けるなか、若い僧侶の読経が静かに流れた。

 

母の遺影のそばに掲げている愛犬の写真を見て僧侶が、「ワンちゃん、亡くなったのですか?」と聞いた。「そうなんです。一緒に拝んで下さい」と答え、しばしペットの話題になった。

「墓じまい」の悩みを僧侶に相談した。今は墓に納骨しているが、子供達は遠方にいるので今後墓の管理が難しくなるからだ。数年前お寺が建てた納骨堂を購入しており、あとはいつ踏み切るか、なのだが。

母の部屋も亡くなった時のままだ。母の日常が染み込んでいるので、なかなか整理・処分の踏ん切りがつかない。

7回忌をきっかけに、実行しようと、決意した。

 

「コスモスがきれい」「鯛の吸い物がおいしい」と言われ、妻はとても喜んでいた。

4人全員が70歳代。6年後の13回忌にも

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元気で集まれればいいのだが・・・。

 

 

回想を楽しむ

週刊誌の、人生、最後は「回想を楽しむ力」を興味深く読んだ。

年を重ねるにつれ、パソコンに保存したお気に入りの写真を見ながら、思い出に浸ることが増えた。

「回想」に関心をもったのは、古い白黒のネガフィルムをパソコンに保存・整理した際、中学・高校時代に撮った写真が出てきたことがきっかけだ。

 

人物よりもその周囲や背後に写った昭和30年代のモノクロの農村風景は何度見ても飽きない。紙障子の玄関、小屋から頭を出したヤギやにわとり、今も残る大きな柿の木、隣の茅葺き屋根・・・。

亡き父母の思い出と共に、懐かしい当時の記憶がどんどん蘇り幸せな気分になる。

 

この記事を読み、抱いていた懐古趣味というマイナスイメージが払拭され、「回想」が老いを前向きに生きる貴重な手段であることを確信した。

 

 

 

天国のランちゃんへ

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ランちゃんが逝って、はや10カ月。。

今年も公園に行く坂道にある、桜の大木に花が咲きました。

例年より早く、もう満開です。

 

この桜を見るとランちゃんが無性に恋しくなります。

楽しかった日々が蘇るからです。散歩の途中、二人で毎年見上げ、「きれいだねー」と言っていたよネ。

ランちゃんといつも一緒だったので、一人の散歩は寂しいものです。何か忘れ物をしている気分になります。だが父さんの胸のなかには、今もランちゃんが生きているよ。

 

嬉しいニュースがあります。ランちゃんを可愛がってくれた彩ちゃんが志望の高校に合格しました。天国からの応援ありがとう!

 

 

 

 

2020年はわが人生の転機だった

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2020年は、3月末に10年間勤めた第二の職場を退職、5月末には16年間連れ添った愛犬を看取り夫婦で涙した。

社会との「接点」と良き「相棒」を失った身に、コロナ禍での外出自粛が追い打ちをかけ,言いようのない「喪失感」に襲われた。

救われたのは、コロナの感染を気にせずにすむ趣味があったことだ。

一つは株式投資だ。生きた経済に接するため、これまでにも増して一般紙と経済紙をじっくり読み、マーケットの反応をチエックした。

事業環境の大きな変化に見舞われた業界や企業の研究は、単調な生活に良い刺激を与えてくれる。一方で、目がすぐに疲れ好きな読書もあまりしなくなった。

もう一つは、農作業だ。妻と畑で野菜作りに励むとともに、耕作放棄の田んぼのに生えた伸び放題の雑草を刈った。

草刈り機での長時間の作業は運動不足の解消に役立ったが、高齢による体力の衰えを改めて実感した。

自らに残された時間は長くないことを強く意識し始め、年賀状には次の一文を添えた。

「今年は後期高齢者になります。人生の最終章を「一日一生」の精神で、楽しく、精一杯生きるつもりです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

老いて初めてわかること

老いた母が「あんたも私の年になったらわかるいネー」とよく言っていた。

70歳を過ぎてから年々体力、気力の衰えを自覚するようになり、この言葉を思い出す。

人の名前が思い出せない。

目がすぐに疲れ、小さい活字を見るのが嫌になる。

少しの段差でも転びやすくなった等々。

 

1年前から、60代の終わりまで楽しんでいたフルマラソンの後遺症に悩まされている。左足の膝が痛みまともに走れなくなった。医者にはまだ行っておらず、リハビリとしてウオーキングに励んでいる。

 

「生涯現役」や「70歳定年制」が話題になっているが、最近その実効性に疑問を持ち始めた。体の衰えは各人各様だが、高齢者になって初めてわかることも多いからだ。

ラジオで聞いた落合恵子さん(75歳)の言葉が印象に残っている。

「老いるとは何かを失うことであるが、何かを得ることでもある」

 

自分は何を得ているのだろうか?

 

 

晩秋の一日

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今日(10月19日)は秋晴れだった。

家に隣接する約100坪の畑で妻と農作業をした。コスモスが畑のあちこちに咲いており、心が和んだ。夏野菜が終わり、数週間前に種を撒いた大根、白菜などの冬野菜がかなり育っていた。ゴーヤ、カボチャ、トマトは「まだ生きている」と妻がそのままにした。秋のトマトはとても甘いのだ。

次男の誕生記念に植えたキンモクセイの花も咲いた。台風の塩害のせいか例年ほど花が多くない。大木になり、台風の際は風よけにも役立った。

柿の木の下のらんちゃんの墓に、コスモスの花を供えた。柿の実も今年はまばらで少し寂しい。

熊手で土を耕していると妻が「タキちゃんが来た! 」と叫んだ。毎年、冬に飛来するジョウビタキで、わが家の畑を縄張りにしている。とても人懐っこい。耕した土の中にいるミミズなどをすぐそばで狙っているのだ。

そんな穏やかな時間が流れていった。