定年おやじのセカンドライフ

生きている実感はありますか?

ネズミとピーナッツ

空き家にしている実家との間を定期的に往復している。

その玄関の土間に、妻が自ら収穫したばかりのピーナッツをたくさん干していた。日当たりがいいからだ。

 

二週間後、帰宅するやいなや、妻が怒り心頭で叫んだ。「ピーナッツが殻ごとなくなっている。ここで食べた形跡もない!」

二人で狐につままれた気分になった。

 

実は前回帰宅した夜、ガサガサと音がしたので、ネズミ捕りシートを買っていた。

その箱に描かれたネズミの絵の横に「ピーナッツのニオイ配合」と大きく書かれているのを見た妻が、「これだ!」と声をあげた。ピーナッツがネズミの大好物であることを、二人共初めて知り、思わず大笑いした。

 

しかし殻ごと消えた謎は残った。ネットで調べると、ネズミの好物はお米やピーナッツで、ねぐらに運んで食べる習性があるという。

翌朝、妻が玄関そばの応接間を掃除していて、ソファの後ろに大量の殻を発見した。妻はあきれ返っていた。さらに廊下に置いていたテーブル上の座布団にも殻が散乱していた。

 

ネズミの通り道と思われる所にシートを5枚置いた。「ワナにかかるか?」と少年時代の冒険心がよみがえった。

1週間後、二匹を捕獲したが、ネズミの警戒心の強さを思い知った。

その後はシートを増やしても空振りが続き、天井裏で騒ぐ音もバッタリ消えた。

家から退散したのならいいのだが・・・。

 

引き取りに現れたのは外国人の青年

フリマアプリ「ジモティ」を利用している。

捨てるに忍びない不用品を再利用してもらいたいからだ。

対象は配送が難しい中・大型の品物。希望者に自宅まで引き取りに来てもらえるから便利だ。

これまで会席テーブルや鯉のぼり、お皿など多数を処分できた。

 

およそ一年前、二つの品物を出品(いずれも無料)したが、無反応で出品したのすら忘れていた。先日、この小型テーブルに「ぜひ譲ってほしい」旨のメッセージが入っているのに気がついた。すでに一カ月が経過していた。

返信すると、こちらの希望日にわが家まで引き取りにくるとの連絡があった。

ただ文章がとどたどしく、最初のお願い文とはあまりに違いすぎるのに、違和感があった。その後やり取りでも幼稚な文章に疑念(?)すら生じた。

 

希望日の2月22日(日)、待てど暮らせど現れない。何か連絡があるはず、と何度もスマホをチエックするも音なし。夕方、「お待ちしていますが、どうされたのですか?」のメッセージを入れておいた。

 

翌朝、「今日でもいいですか?」と連絡があった。

洗車をしながら道路に気を配っていると、自転車に乗った青年がやって来た。

「自転車?」にわかに信じられなかった。言葉もたどたどしい。聞くと、インドネシアから来日し、近くの工場で働いているという。

自転車で引き取りに来たのは初めて。なんとか荷台に括り付け、お礼を述べて帰って行った。疑念は氷解。多分最初の文章は会社の誰かがサポートしたのだろう。

「頑張ってね!」と妻と彼の自転車の後姿を見送った。

梅の花が満開だ

実家のそばの畑には三本の梅の木がある。

枯野のなか、朝日に映える「白い花」が美しい。凛とした気品がある。

 

「今年もたくさん実をつけそう」と妻はつぶやいた。加えて「梅干作りが大変!」と笑った。毎年大量の実をもぎ、加工する。高齢の身にはかなりの重労働だからだ。

 

周囲に漂ういい香りに誘われ、顔を花に近づけ匂いを嗅いでみた。

心が和む。「俺はまだ生きている!」「今年も生きていて良かった!」幸せな気分になった。

 

思い出すのは、亡き母の名前「ウメ子」、そして子供の頃よく土産にもらった天神様の粟おこしの包み紙にあった梅のデザインだ。

 

「梅一輪 いちりんほどのあたたかさ」服部 嵐雪

 

幼なじみのSちゃんが逝った

K君から26日昼前電話があった。「Sちゃんが死んだ!}

「ああやっぱり」と思った。酸素吸入器をつけている聞いていたからだ。心配していた。

 

我々は田舎の小・中学校の同級生だ。幼なじみでもある。

還暦を機にウオーキングを目的とした「健歩会」をつくり10数名で旧交を温めてきた。ワイワイ話しながら地元の山、学校、名所、神社、公園などを巡った。

その仲間が亡くなったのは、二年前のK.Y君に次いで二人目だ。幼なじみの死はとても辛い・・・。

 

亡くなったSちゃんは、若い頃Uターンし、農業用機械部品などを売る商売を始め、数年前に廃業した。

菩提寺の納骨堂建設(2008年完成)では建設委員長として尽力するなど、地域によく貢献していた。完成した納骨堂を皆で見学に行った際、入口の最上位に彼の名前があった。「安心して極楽にいけるな」と皆でからかったことをが思い出される。

 

早朝の田舎道を愛犬を散歩させていると、散歩中の彼とよく出会った時期もあった。

NHK番組「家族に乾杯」で阿川佐和子さんが取り上げられた時、彼の家のことが出てきたことも。

 

親分肌のいい男だった。

Sちゃん!お世話になりました。ありがとう。

 

さらば70歳代(80歳の誕生日)

震える寒さのなか、80歳になった。

母がよく言っていた。「あんたが生まれた日はとても寒かった」

 

大きな病気もせず、元気にここまでこられた。妻も元気だ。「最高の幸せ」だろう。

父母や妻、お世話になったすべての人に感謝したい。「ありがとう!」

 

振り返ると「幸運」な80年だったと思う。「よい出会い」にも恵まれた。

一方で「懺悔」の気持ちで胸がつまる。お世話になりっぱなしの人々が多いからだ。

 

老いて初めてわかる、ことを実感する。

親しい友人、知人を失う寂しさ、喪失感は年々深まる一方だ。「オイ!」と気軽に声をかけられる友が少なくなった。とても辛い。

共通の体験や思い出を語り合える相手が少なくなった。人生の宝物を次々に失う心境だ。

体力、気力、記憶力もめっきり衰えた。今では晩年の母の気持ちがよくわかる。介護で母をきつく叱ったことを後悔している。

 

自分にはまだ「やらねばならない」ことがある。「思い出」がありすぎて先送りしてきた「終活」だ。

自身にいつ、何が起きてもおかしくない年齢だ。もう先送りはできない。墓じまい、母の部屋や持ち物の整理・・・。

 

「両手を上げた冬空に浮かび来る 亡き友の顔次々と

 われ80歳の誕生日」(1号公園にて)

「年をとるということは、失うものが増えるということ」(内館牧子「すぐ死ぬんだから」)

 

孫娘達からもお祝いの手紙をもらった。

嬉しかった!もう少し元気に生きて、彼女らをサポートしてやらねば・・・。

 

2026年 年頭所感

新年がスタートした。特別な感慨はない。

1月3日に妻と初詣。地元の八幡様参拝と菩提寺という例年のコース。家族の健康と穏やかな年になるよう祈った。菩提寺では若い住職と新年の挨拶をかわした。隣接の納骨堂で、2年前に亡くなった高校同級生I君の位牌に手を合わせた。

 

今年1月、「80歳」になる。人生の最終ステージだ。

老いとの戦いだが、馬術競技の馬のように「80歳の壁」をヒラリと越えたい。

 

そんな思いから亡き父が残した病床日記を読み返した。

「死生観」というタイトルで「人生は短くはかなく、予測できない」「人間にできることは、生きている時間を悔いなく充実して過ごすことだけだ」とある。

悩みや迷いが生じたとき何度も読んだ文章だ。

今の心境にぴったりで、「希望で起き、喜びで過ごし、感謝で寝る」毎日を過ごそうと改めて決意した。

 

夫婦共に、健康で、楽しい一年となることを念願している。

 

2025年を振り返る

「人生はいいこと・嬉しいことが半分、辛いこと・苦しいことが半分ずつで成り立っている」

2025年を振り返ると、この言葉に尽きる。

大きな喜びと落胆を経験したからだ。

 

夫婦で助け合いながら、来年も元気に過ごしたい。