定年おやじのセカンドライフ

生きている実感はありますか?

道下美里さん、銀メダルおめでとう

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道下美里さん、パラリンピック視覚障害者マラソン銀メダルおめでとう!

我々チームYのマドンナだった美里さんが、リオの地で快挙を成し遂げた。
日の丸をつけ本番で実力を発揮するのは並大抵ではない。あのちいさな体のどこにそんな力があるのだろうか?

総合支援学校の恩師、安田先生と二人三脚で目指してきた努力が結実。
「監督をリオに連れていきたい」が彼女の口癖だったので、恩返しができた喜びがテレビ画面から伝わってきた。

彼女は安田先生を「監督」と慕い、先生は練習から送迎まで献身的にお世話をされていた。
安田先生なくして、「アスリート道下」は誕生しなかった、と断言できる。
先生にとっては教師人生における最高の「勲章」だろう。

友人の紹介で二人と出会ったのは2009年3月。彼女は暮れなずむグランドを黙々と走っていた。
その後数名が仲間に加わり、我々はこの集まりを「チームY(安田)」と名付け、毎週二日一緒に走るようになった。

若い仲間との交流はとても新鮮で楽しく、妻も参加するようになった。
角島の夕焼けマラソン阿蘇合宿、初詣ラン、周防大島ハーフマラソン、下関海響マラソンと火の山YHでの打ち上げ、安田先生の還暦祝い、カラオケ・・・。数えあげればきりがない。

2010年、彼女は結婚し下関市から福岡市へ転居。やさしいご主人の支援や新しい多くの人との出会いが一気に彼女の才能を開花させたようだ。
彼女は花にたとえればヒマワリ。挫折経験のなかで培われた「やさしさ」や天性の「明るさ」が、あたかも磁力のように多くの人を惹きつけるのだろう。

彼女は小学校での講演活動にも熱心に取り組んできた。今後も多くの人に、夢や希望、生きる力を与えてほしい。

2009年11月の下関海響マラソンでは彼女の伴走をさせてもらった。20キロ付近で仲間の高木さんと交代したが、今では宝物にひとしい経験だ。本当にありがとう。

二人との出会いがなければ、私の第二の人生は味気ないものになっていただろう。
チームYに彼女が播いた種はしっかりと芽吹いている。

「人生は出会いだ」。つくづくそう思う。