定年おやじのセカンドライフ

生きている実感はありますか?

母を偲ぶ

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母が亡くなり、心にポッカリと空間ができたようだ。時折、やりきれない淋しさ、空しさに襲われ、深い孤独感を味わっている。

世間では「大往生」と言うが、両親特に母親を亡くすことは「自分の過去を失った」ようで、とても辛い。


この4年間ほぼ毎日、施設にいる母の昼食介助に通った。車いすで散歩もさせた。母の介護中心のライフスタイルが定着していたので、今でも昼前になると、「さあ行かねば」と思い、「もう行かなくてもいい」ことに気づく。それまで日常的だったことが、もう決して戻ってこないのだ、と思い知る。

9月10日(木)、母の容態が急変。9月30日(水)15時53分永眠。93歳。あと9日で94歳の誕生日だった。

食べ物を飲み込む力が弱くなり、体重減、傾眠、発熱、肩呼吸、血圧低下、黄疸症状など、生命力が確実に失われていった。この間、不思議なほどの秋晴れが続いた。不安で一杯の心には、真っ青な空が恨めしかった。

霊安室に安置された遺体と、その前に立てられたローソクと線香。その光景を目にした時「母はもうこの世の人間ではない」ことをはっきりと認識した。母の顔は安らかでまだ温もりがあった。やっと苦しみから解放された表情に思えた。

霊安室で葬儀社から搬送車が来るのを待った。担当の医療関係者の焼香が嬉しかった。外は小雨。一人、母のそばにいるとこの3週間の重苦しい日々と最後に見た母の表情が蘇り、いいようのない気分に陥った。

母が長年過ごした実家で通夜、10月2日に葬儀を近親者で行った。母は花が好きだった。妻が庭に咲いていたコスモスの花を愛用の着物などと一緒に棺に入れた。その時のコスモスの素朴な美しさが胸をうった。

10月27日(火)、墓に納骨。母の骨壷を父の骨壷の隣に並べた。

母の遺影がやさしく微笑んでいる。「皆が仲良くすることが私の一番の願いよ」と言っているかのようだ。今頃は45年ぶりに再会した父と、何を話しているのだろうか?