定年おやじのセカンドライフ

生きている実感はありますか?

俳優山本圭さんの死と昭和の青春

映画「若者たち」で三男の佐藤三郎を演じた、俳優の山本圭さんが死去した。81歳。

学生時代にこの映画を見て、山本さんを知った。理知的で冷静、長髪が良く似合う大学生役がまぶしかった。

 

時代は昭和の高度成長の入り口。両親を亡くした男4人、女1人の5人兄弟(妹)が、互いにぶっつかりながらも逞しく生きる青春ドラマだ。

友情、恋愛、苦悩、歓喜、希望、取っ組み合い、口角泡を飛ばすやりとり・・。

若いエネルギーとリアルな人間関係に溢れていた。

 

昨年、父親代りの長男を好演した田中邦衛さんが88歳で亡くなったことを知り、無性に「昭和の青春」が懐かしくなった。動画配信サービスで当時のテレビドラマ「若者たち」全編を鑑賞した。巣ごもり生活のなかで、人と人との生身の触れ合いの大切さを改めて思った。

 

最近、山本さんを見たのは数年前のテレビ番組「やすらぎの郷」だ。

年を重ねた風貌に自分の姿が重なり、半世紀超の歳月の経過をかみしめた。

山本さんの訃報は、自らの「昭和の青春」を失ったようでとても寂しい。

合掌

「君のゆく道は果てしなく遠い・・・」

 

 

遺言書を書いた

万一の場合に備え「遺言書」を書いた。

いわゆる「自筆証書遺言」だ。遺産は少ないものの、「相続」を「争続」にさせたく

ない一念からだ。自分が妻より早く亡くなると、相続人は4人。「不公平感」がでないよう気を使った。

 

金融機関に勤めていたので、遺産相続を巡り、仲の良かった兄弟姉妹がいがみあう場面を数多く見てきた。遺産額があまり多くないほどもめやすい、現実も知った。

 

銀行や証券会社での相続手続きにこの「遺言書」を使うには、家庭裁判所の「検認」が必要になるが、令和2年から始まった法務局での「保管制度」を使えば「検認」が不要なことを知った。私にはこの方が使い勝手がいいようだ。

公証役場で作成する「公正証書遺言」という方式もあるが、証人2人の立ち合いが必要なうえ、かなりの費用がかかる。

 

被相続人がいくら生前に準備をしていても、実際に相続手続きをする相続人にはかなりの労力と費用が必要だ。

死後のことが心配になった(笑い)が、とりあえず「遺言書」を書いたことで少し心が軽くなった。この「遺言書」は定期的に書き直すつもりだ。

 

 

重苦しい春

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なんとも重苦しい春だ。

退職し完全な自由人になって3月末でまる2年。今年も桜は咲いたが、心から明るい気分にはなれない。

 

高水準の新型コロナ感染者数が続き、ロシアがウクライナに侵攻してから1か月超過ぎたが、停戦の兆しは見えない。

連日報道される想像を絶する凄惨さに胸が痛み、無力感にさいなまれる。

こんなことがあっていいのか!

憤り、暴挙、理不尽、人道危機、避難民・・・。言葉がない。

 

追い打ちをかけられるように、3月、想定外の悪い出来事が身近に連続して起き、ショックを受けた。

思わず口から出たのが「まさか!」

人生には「登坂」「下り坂」のほかに、「まさか」の「さか」があることを改めて思い知った。

幸いにも、当事者達は気持ちを切り替え、前向きに努力している。

「結果オーライ」となることを祈っている。

 

3月31日、亡き愛犬と毎日行っていた公園を一人で散歩した。

桜は満開。天国の愛犬や昨年亡くなった親友から「生きていることは素晴らしいことだよ」と励まされているようだった。

 

76歳の誕生日

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今月76歳の誕生日を迎えた。妻がケーキでささやかに祝ってくれた。

大きな病気やけがをせずにこの日を迎えられたことは、最高の幸せだ。妻や亡き父母に感謝している。

 

40年間勤務した会社からは「喜寿」のお祝いが届いた。数え年なので「エッ77歳!」と驚くと共に、正真正銘の老人になったことを改めて認識した。

 

54歳に亡くなった父より22年も長く生きた。男性の健康寿命(72歳)もクリアしている。これも父のご加護か?

 

今の目標は「ポジティブ」に生きること。できれば、平均寿命(81歳)までは元気でいたい。認知症と寝たきりにはなりたくない。

 

今年の年賀状には「趣味のテニスや投稿を楽しみ、妻と畑の土に親しむつもり」と書いた。何気ない日常のなかに生きがいを見出してゆこうと思う。

 

2022年の初春に思う

2022年の幕開けは、穏やかな三が日だった。

元旦、父母の仏前で夫婦ともに元気で新年を迎えたことを報告。父母の加護に感謝した。

2日、二人の孫にお年玉を渡した。「ありがとう」と言って嬉しそうに受け取る、そんな何気ないことにも幸せを感じた。これも生きていればこそだ。

3日、妻とお寺と地元の神社に参拝。お寺の納骨堂にはわが家の分もあるが、父母の遺骨は近くの墓のなかにある。いつかはここに移さなければならないのだが・・・。

今年は76歳になる。高齢者二人の日常は単調だが、今年も喜びを見出し、生きがいを創ってゆきたい。

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2021年を振り返る

2021年1月、自身は後期高齢者になったが、病気もせず元気に過ごせた。夫婦共に「健康」であったことに感謝している。

 

変化の乏しい老夫婦の日常の中にもそれなりの「喜怒哀楽」があった。

3月、孫娘が希望高校に合格。8月、東京パラの視覚障害ラソンで旧知の道下美里さんが金メダルを獲得。12年前、近くの支援学校グランドで一緒に走っていたことが夢のようだ。当時と変わらぬ、ひまわりのような「笑顔」がひときわ輝いていた。多くの人の心をパッと明るくさせたことだろう。おめでとう!

 

一方で、友人・知人の訃報が相次いだ。

なかでも青春時代を共有したK君の訃報は大ショックだった。毎朝、空を見上げ「なんで早く死んだ」と心のなかで叫んでいる。日増しに寂しさが募る。

 

車の運転は「無事故・無違反」で、母の7回忌も無事済ませることができた。

来年は、趣味のテニスや投稿を楽しみ、妻と畑の土に親しみながら、人生の店じまいを進めるつもりだ。

 

 

親友の死を悼む

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親友のK君が逝った。75歳。

突然の訃報に驚いた。信じられなかった。

 

多感な青春時代を共有した、最も信頼できる親友だった。

なかなか会えなくても「彼がいる」と思うだけで、元気が出た。

大学入学時、同じ下宿で出会い、なぜか気が合い、生涯の親友に。

年賀状には「常在戦場と心得、体を鍛えている」といつも書かれていた。

去年8月もらった葉書には「コロナ禍でもジムに通っている」「実家のある福岡に帰る際は是非会いたい」と記されていたのだが・・・。会いたかった!

 

本人はもちろんご家族の無念は察して余りある。

人生の宝物ともいえる、かけがいのない友を失い、とても残念だ!寂しい!

時折、何とも言えぬ喪失感に襲われる。

振り返れば、これまで多くの親友を失ってきた。幼なじみ、中学・高校の同級生・会社の同期・・・。

 

「長く生きることは、一人孤独に耐えることでもある」

人生の無常を感じながら、今年11月99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんの言葉をかみしめている。